2015年07月01日

朝顔市

朝顔市は、ほおずき市と並ぶ夏の風物詩です。朝顔市の朝顔は、青やピンクなど3~4色の大輪の花が一鉢に咲くように寄植えされた「あんどん仕立て」が主流です。「今日の朝顔は何色?」と夏の早起きは朝顔チェックで決まりですね!

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■朝顔はなぜ朝に咲く?
朝顔はヒルガオ科のつる草で、支柱となるものに巻きつきながら成長していきます。巻き付く向きはなぜか左巻き。そして、朝顔は日没から10時間後に咲く、体内時計を持っています。それで、早朝に花を開き、日が出るとしぼんでしまうのです。
似たような名前の花に昼顔、夕顔がありますが、昼顔はその名の通り昼に咲き、夕方しぼみます。夕顔はウリ科のつる草で、その実からかんぴょうが作られます。

 朝顔垣根.png

朝顔の原産地は中国で、奈良時代に遣唐使によって日本に伝来したといわれています。
当時は朝顔の種は「牽牛子」(けんごし)といって、下剤や利尿作用がある漢方薬として珍重されていました。朝顔の花が鑑賞用として栽培されるようになったのは江戸時代になってからの事です。

 


■朝顔の人気の秘密
「朝顔に釣瓶(つるべ)とられてもらい水」とは、加賀千代女の有名な句。意味は「朝、井戸に水を汲みに行ったら、釣瓶に朝顔が巻き付いて水が汲めない。でも切ってしまうのはかわいそうなので、今日は隣の家から水をもらって過ごしましょう」。朝顔に対する優しい気持ちと、朝顔が庶民に愛されていた身近な花だったことが感じられます。

 

江戸時代、流行した朝顔は「変わり咲き」というもの。花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、桔梗や牡丹のように咲いたり、二重に咲いたり、変化にとんだ様々な種類が開発され、この不思議な美しさが江戸の人々の心を捉え、夏に眺めて楽しむ花として大ブームになりました。江戸末期には変わり咲きばかりでなく、現在のような丸い形の大輪の朝顔も盛んに栽培されました。
朝顔市で有名な入谷(東京都台東区)は、入谷田圃の土が良かったことと、腕の良い植木屋が多く住んでいたことから、朝顔の名所として有名になりました。

 朝顔藤色.png朝顔紫.png

 


■朝顔市の由来
朝顔市の代名詞ともなっている入谷の鬼子母神の朝顔市は、明治初期からの歴史があります。世情の悪化から大正時代に一度姿を消しますが、戦後の昭和23年に江戸情緒豊かな夏の風物詩として再開されました。朝顔の中国名「牽牛花」(けんぎゅうか)にちなみ、牽牛といえば七夕伝説に出てくるあの牽牛、ということで七夕を挟んで3日間開催されます。
東京・入谷の朝顔市は、入谷鬼子母神を中心に、言問通り沿いに市が立ち、毎年40万人の人で賑わいます。
朝顔は早朝に咲く花。朝顔市も朝5時スタートです。色よく咲いている花を品定めするには、やはり早起きして出かけたほうが良いですね。

 


■朝顔の鉢の育て方
朝顔市の朝顔は、青やピンクなど3~4色の大輪の花が一鉢に咲く寄植えが主流です。
朝は日当たりの良いところ、夜は暗いところに置き、夜に明かりを照らして昼と夜を混乱させないように気をつけましょう。夜露に当てる事も必要です。水は夕方にたっぷりと、また日中、葉が垂れ下がった時にもあげます。出来れば汲み置きの水か、米のとぎ汁が良いそうです。
上手に育てれば10月ごろまで楽しめます。9月上旬ごろまでは種を付けさせないように、花がしぼんだら摘み取っておくようすると、次々と花が咲きます。9月中旬になったら、種をつけてさせて採取するようにすると、来年も朝顔が楽しめますね。

 


■入谷鬼子母神とは?
鬼子母神とはちょっと怖い名前ですが、いったいどういう神様でしょうか。
仏教説話では次のように語られています。

 

鬼子母神は夜叉神の娘で、嫁いで多くの子どもを産みましたが、性質は暴虐で人の子をさらっては食べていました。その悪行を知ったお釈迦様は鬼子母神を戒めるために、末の子を隠してしまいました。自分の子どもがいなくなった鬼子母神は狂ったように捜し回り、嘆き悲しみました。お釈迦様は鬼子母神に対し、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。我に返った鬼子母神はそれからは悪行をやめ、仏教に帰依します。その後、安産・子育ての神となって人々に尊崇されるようになりました。

入谷の鬼子母神、中山の鬼子母神、雑司ケ谷の鬼子母神が江戸三大鬼子母神といわれていますが、雑司が谷の鬼子母神は、菩薩の姿でツノがないということで鬼という字の上の「、」がない文字が使われています。

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