初夏の訪れを告げる海の魚が「初鰹」なら、川の魚は「鮎」ではないでしょうか。鮎がぴちぴちとはねながら渓流を遡上する様子は、初夏の風物詩。清流に棲むことも、柳の葉のようにスマートなスタイルにも気品が感じられます。一般的には6月頃が鮎釣りの解禁時期で、釣り人たちが楽しみにしていたシーズンが始まります。
■鮎の寿命は1年
鮎は、北海道西部から沖縄まで日本各地に生息しています。3~6月頃、若鮎の群れが川を遡上し始めます。中流域に達するとそこに定住し、石についた藻などを食べて成長します。8~9月頃になると淵などに群れるようになり、やがて産卵場所を求めて川を下りはじめ、下流域で産卵し、親の鮎はそこで一生を終えます。孵化した仔魚は海に下り、プランクトンなどを食べて成長し、翌春、また川に戻ってきます。
このように寿命が1年なので「年魚(あゆ)」。また、身はスイカやきゅうりのようなさわやかな香りがすることから「香魚(あゆ)」とも書きます。
■鮎の由来
「アユ」の名前の由来は、秋に川を下ることから「おつる」という意味の古語「あゆる」から来たという説。「ア」は小さい、「ユ」は白いことを表し、その姿かたちから「アユ」となったという説。かわいい魚、美しい魚という意味との説など諸説あります。
古事記や日本書紀にも阿由、安由、年魚、香魚、鮎など、数多くの記述がみられます。
神功皇后の三韓遠征の折、九州松浦の里で戦勝を占って釣りをしたところ鮎が釣れたという故事は有名で、このことから「魚」に「占(うらなう)」で「鮎」となったという説もあります。また、鮎はなわばりをもつ性質があるので、占めるという意味で「鮎」になったという説などもあります。
■鮎の呼び名
また、鮎は成長にともなって呼び名が変わり、海にいる仔鮎時代は一般には「シラス」。川を上る頃は「ノボリアユ」「ワカアユ」、川に棲みつく頃は「セアユ」「フチアユ」、川を下る頃は「オチアユ」「クダリアユ」、産卵期の「サビアユ」。また、一年の寿命のはずが年を越す鮎を「トマリアユ」「フルセ」などといいます。このように鮎がたくさんの名前を持っているということは、人々の生活に深く結びついていた証ともいえます。
■鮎の友釣り、梁漁、鵜飼
日本各地の多くの川で6月が鮎釣りの解禁月になっています。鮎釣りの方法で一番人気があるのが「友釣り」です。鮎は縄張りを持ち、侵入してきた他の鮎に攻撃を仕掛ける習性があり、それを利用した日本独自の方法で、おとりの鮎を糸の先につけて泳がせ、追い払おうとした鮎が針にかかるというかけ釣りです。
水深の深い淵などでは「どぶ釣り」という藻を模した毛針釣りも行われます。
秋には産卵場所へ下る習性を利用して鮎をとる「梁漁」が行われるところもあります。川の中に「梁(やな)」というすのこ状の板を張り、上流から来る魚がすのこに打ち上げられるのを待ちます。
また、風雅なのが「鵜飼」です。岐阜県長良川で行われる鵜飼はおよそ1300年の歴史があり、重要無形民俗文化財にもなっています。夜の闇を赤々と照らすかがり火の下、鵜匠が巧みに鵜を操り、鮎を追い込んでいきます。
■琵琶湖のコアユ
琵琶湖には湖内にとどまり小さいまま群れで生活している「コアユ」が生息しています。
琵琶湖の最北部には4~5月頃に行われる「追いさで漁」という伝統の漁法があります。
追いさで漁は、石についた藻類を食べに湖岸に近づいてきたコアユの群をカラスの羽のついた竿を使って追い集め、待ちかまえる「さで網」の中へ追い込んで捕る漁法ですが、後継者不足ということで、幻の漁法になってしまうかもしれません。
琵琶湖は全国の河川に稚鮎を供給する拠点となっており、春先に捕獲されたコアユは全国の河川に放流されるため活魚で出荷されていきます。
「昔は川の底が見えないくらい鮎がいた」などという話もありますが、河川の整備による環境の変化などで、かつては日本中の河川にいた鮎も激減してしまい、放流や養殖で供給されているのが現状です。天然の鮎は今や貴重な存在のようです。
■鮎のごちそう
古くから日本人に親しまれてきた鮎は、食べ方もいろいろありますが、一番は「塩焼き」でしょう。天然の鮎ははらわたを出さずに焼いた方が鮎の香りや味がより楽しめるといいます。蓼酢をつけて食べるのもおいしいです。
釜飯にしたり、雑炊にしたり、焼いてから甘辛く煮含めたりといろいろ楽しめます。
鮎寿司は、本来は鮎を発酵させたなれ寿司ですが、酢でしめた鮎を使った姿寿司もおいしいものです。