縁起のよい福の神様を7人集めた「七福神」。
七福神信仰は室町時代末期頃の京都に始まったといわれる民間信仰です。
応仁の乱など、戦乱続きの室町時代末期は、庶民も神様の御加護を求めていました。また、この頃、商業が起こり個人が利益を求め、願うようにもなってきました。こうした時代背景から「福の神信仰」が流行り、当時、人気のあった福の神を、いろいろ集めてユニットを組んだのが七福神です。
七福神のメンバー紹介
七福神の神様にはそれぞれにルーツがあり、大変個性豊かな神様が揃っています。
一般には恵比須・大黒天・弁才天・毘沙門天・布袋和尚・福禄寿・寿老人の七神を指します。中国・古代インドの神様が多くいますが、日本の神社・仏閣にまつられている本来の神様と一体となる形で現在に伝わり、今でも親しまれています。
恵比須
伊弉諾尊(イザナギノミコト)の第3子といわれる七福神の中では唯一の日本の神様。
商売繁盛の神様、豊漁・豊作の神様として親しまれ、恵比須様をおまつりする恵比須講が全国各地で行われています。
大黒天
ヒンドゥー教のシヴァ神の化身である摩訶迦羅(マハーカーラ)天で、最澄が日本国内に広め、農産・福徳の神である大国主命(オオクニヌシノミコト)と一体化しました。
台所の神様で、黒豆を大黒というのは「黒くなって、まめ(魔滅)に働く」にちなみます。
弁才天(弁財天)
ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーで、古代インドでは河川の神、豊穣の神として最も崇拝され、仏教にもいちはやく登場し、土着の神と結合して広く信仰されるようになりました。
音楽や学問、財福の神様。七福神の中ではただひとりの女神様で、芸術家をめざす人や芸能人に芸運を授けます。
毘沙門天
ヒンドゥー教のクーベラ神で、元々は悪神とされていましたが、のちに財産を守る善の神となり、仏教に伝わったのちには仏法の守護神になり、四天王の一人「多聞天」としても有名です。
勝負事の神様で、武器で厄払いをする軍神。強く、偉くなりたい時にはこちらに祈願を。
布袋和尚(布袋尊)
ルーツは唐の時代の高名な中国禅僧・契此。小柄で太鼓腹、いつも大きな布袋を担いで放浪していたため、その名がつきました。
家庭円満、福徳の神様。「泣いて暮らすも一生。笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせ」という布袋和尚の生き方が、至福の象徴になっています。
福禄寿
古代中国の道教の神で、天南星の化身、または南極星の化身とされています。
福(幸福)、禄(財産)、寿(長寿)をかなえる神様。3つかなえば言うことなしです。
寿老人
道教の神で南極星の化身の南極老人とされ、福禄寿と同一神とされることもあります。
長寿と幸福の神様。長寿、健康に加えて子宝を授ける神様です。
正月には、それぞれが祀られている7つの社(やしろ)を順に回って幸福を願う「七福神めぐり」が日本各地で行われています。
宝船で初夢を
七福神が乗っている乗り物といえば宝船。宝船とは宝を満載した船の絵で、「長き夜の 遠の眠りの みな目覚め 波乗り船の 音のよきかな(なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)」という回文(上から読んでも、下から読んでも同じ文)が書かれているものもあります。江戸時代には、この宝船の絵をお正月に枕の下に敷き、回文を唱えて寝ると、よい初夢が見られるということが流行り、「宝船売り」が宝船の絵を売り歩き、江戸の風物詩にもなっていたとか。
その宝船にいつの頃から七福神が乗るようになったのかは不明ですが、初詣で七福神めぐりが流り、宝船と七福神は正月の縁起物としてセットになっていったようです。