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2018年05月01日

京都三大祭り「葵祭」

5月の葵祭(あおいまつり)、7月の祇園祭(ぎおんまつり)、10月の時代祭(じだいまつり)が「京都三大祭り」といわれています。
中でも「葵祭」は、平安貴族の姿そのままの優雅な王朝行列が、京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう、京都三大祭りを代表する祭りで、平安中期の貴族の間では「祭り」といえば「葵祭」を指しました。

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■葵祭とは?

「葵祭」は、毎年5月15日に行われる賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ=下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ=上賀茂神社)の例祭で、正式には「賀茂祭」といいます。また、石清水八幡宮の祭りを「南の祭り」というのに対して、「北の祭り」とも呼ばれます。
「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代1694年(元禄7年)に祭りが再興されてからのこと。祭り当日の内裏宸殿の御簾(みす)をはじめ、牛車、勅使、供奉者の冠や装束、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾ったことによります。使用される葵はフタバアオイで、毎年、下鴨神社、上賀茂両神社から京都御所に納められています。

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■葵祭の起源

今から約1400年前の欽明天皇の頃、国中が風水害にみまわれて大凶作に苦しみ、当時の有名な占い師であった卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に原因を占わせたところ、賀茂大神の祟りであるといわれました。そこで、天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったところ祟りが治まったということで、これが「賀茂祭」の起源となりました。

平安時代の807年に勅祭となり、819年には中祀に準じ斎行せよとの勅命が下され、伊勢神宮の祈年祭・月次(つきなみ)の祭り・神嘗祭(かんなめさい)・新嘗祭(にいなめさい)にこの賀茂祭が加えられました。

その後中断や再興を繰り返しつつも、平安時代から国家的な行事として行われて来たため、日本の王朝風俗の伝統を今も見ることができる大変貴重な祭りです。


■葵祭の見どころ

葵祭は「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」の3つからなっていましたが、現在は「路頭の儀」と「社頭の儀」が行われています。
見どころはなんといっても「路頭の儀」。勅使、検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿に扮して列をつくり、京都御所を出発します。参加者500名以上、牛馬約40頭の風雅な王朝行列が、約8キロの道のりを行列する様子は、見ごたえがあります。

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行列は、本列と斎王代列に大別され、本列は勅使代を中心にした列、斎王代列は女人列といわれ斎王代を中心にした列です。
斎王は、平安時代には内親王が選ばれて祭に奉仕しましたが、現在は未婚の市民女性から選ばれるので、斎王代と称されています。十二単(じゅうにひとえ)姿の斎王代が腰輿(およよ)という輿に乗って参向する姿は、ひときわ華やかな見どころの一つでしょう。

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平安時代の貴族もこぞって見物をした様子で、「源氏物語」の「葵の巻」でも光源氏の正妻である葵の上と、恋人の一人、六条御息所が見物場所をめぐって争う「車争い」の場面が描かれています。

しかし、本来、葵祭の目的は行列ではなく、勅使が御祭文を奏上し、御幣物を奉納する「社頭の儀」です。「社頭の儀」は、行列が下鴨・上賀茂両社に到着した際、それぞれの社頭で行われ、供物奉納などの他、神馬の引き回しや舞人による「あずまあそび」の舞が奉納されます。

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■葵祭の前儀

「流鏑馬(やぶさめ)」も葵祭の主要な行事です。現在では15日の葵祭に先立ち、5月3日には下鴨神社で行われます。

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5日には、上賀茂神社で天下泰平と五穀豊穣を祈願して「競馬会神事(くらべうまじんじ)」が行われ、それに先立ち、1日には馬体と騎手の組み合わせを決める「競馬会足汰式(くらべまえあしぞろえしき)」が行われます。

また、4日には「斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)」が行われますが、場所は上賀茂神社と下鴨神社が1年毎に交代します。
5日には、下鴨神社では、葵祭の沿道を清めるために矢を射る魔除けの神事である「歩射神事(ぶしゃしんじ)」も行われます。

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