彼岸といえばお墓参りが頭に浮かびますが、彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事です。日本では、神仏両方を共にまつるという風土があるので、太陽神を信仰する「日願」と仏教の「彼岸」が結びついたからという説があります。また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となりました。
彼岸には春彼岸と秋彼岸があります。それぞれ、春分の日(3月21日頃)、秋分の日(9月23日頃)を中日とし、その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。
- 【 春彼岸 】春分の日が3月21日の場合
- 3月18日:彼岸入り
- 3月21日:彼岸の中日(=春分の日・祝日)
- 3月24日:彼岸明け
- 【 秋彼岸 】秋分の日が9月23日の場合
- 9月20日:彼岸入り
- 9月23日:彼岸の中日(=秋分の日・祝日)
- 9月26日:彼岸明け
彼岸の中日である「春分の日」「秋分の日」は国民の祝日です。祝日法によると、春分の日は『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』、 秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』となっています。また、春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、 秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼び分けることもあります。
春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、お彼岸にお墓参りに行く風習は、この太陽に関係しています。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸」(しがん)といいます。
そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました。
※こちらも合わせてご覧ください → お墓参りの作法
春分と秋分は、いずれも二十四節気のひとつで、暦の上では春と秋の折り目となります。春分と秋分は、昼と夜の長さがほぼ同じになりますが、
春分以降は昼が長くなるため寒さが和らぎ、秋分以降は秋の夜長に向かうため涼しくなっていきます。
こうして彼岸を迎えれば厳しい残暑や寒さに目処がつくため、「暑さ寒さも彼岸まで」というようになりました。
まるで彼岸に合わせたかのように、秋分のころに咲く彼岸花。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という別名は、サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味します。
1日に10㎝以上も伸び、球根には毒がありますが、昔は水にさらして毒を抜き、万一の時の非常食にもなりました。
お彼岸のお供えものの定番といえば、「ぼたもち」や「おはぎ」。どちらも、もち米とうるち米を混ぜて炊き、適度につぶして丸めたものを小豆あんで包んだ和菓子ですが、春は春に咲く牡丹にちなんで「牡丹餅」といい、秋は秋に咲く萩にちなんで「御萩」というようになりました。また、小豆は秋に収穫されるので、春はかたくなった皮を取ったこしあん、秋は皮ごと使った粒あんを使っていました。そのため、本来「牡丹餅」はこしあん、「御萩」は粒あんを使って作ります。
また、おもちは五穀豊穣、小豆は魔除けに通じることもあり、日本の行事に欠かせないものです。昔は甘いものが貴重だったため、 ぼたもちといえばご馳走で、大切なお客様、お祝い、寄り合いなどでふるまわれ、法要の際にも必ずお供えしていました。思いがけずよいことがあることを 「棚からぼたもち」といい、幸運の象徴にされていることからも、いかに人々の暮らしに根付いていたかがわかります。