上巳(じょうし):3月3日 桃の節供

3月3日は「桃の節供」です。本来は「上巳の節供」といいますが、ひな人形を飾り、女の子の健やかな成長を願う「ひな祭り」として親しまれているので、女性には少なからずおひな様の思い出があるのでは?

男性も、女の子のお祭りだから関係ない、なんて思っていてはもったいない! じつは、老若男女を問わず幸せを願うものなのです。

「上巳節」とひな祭りの由来

ひな祭りの起源は、300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼります。「上巳(じょうし/じょうみ)」とは旧暦3月の最初の巳の日こと。のちに行事の日付が変動しないよう、3月3日となりましたが、もともとは女の子のお祭りではなく、春を寿ぎ、無病息災を願う厄祓い行事だったのです。

■水で穢れを祓う「上巳節」

上巳のころは季節の変わり目で、災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、古代中国では、この日に水辺で穢れを祓う習慣がありました。この上巳節が遣唐使によって日本に伝えられると、宮中行事として取り入れられ、「上巳の祓い」として「曲水の宴」を催したり、禊(みそぎ)の神事と結びつき、紙や草で作った人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流したりするようになりました。今でも一部地域でみられる「流し雛」は、この名残です。

■女の子のままごと「ひな遊び」とドッキング

平安時代ごろから、宮中や貴族の子女の間で紙の人形で遊ぶままごとが盛んになりました。これを、大きいものを小さくする、小さくかわいらしいという意味の雛の字を用いて、「ひいな遊び」「ひな遊び」といいます。この遊びが上巳節と結びつき、男女一対の「ひな人形」に子どもの幸せを託し、ひな人形に厄を引き受けてもらい、健やかな成長を願うようになりました。

■桃パワーで邪気を祓う「桃の節供」

やがてこれが武家社会に広がると、5月5日の男の子の節供に対して、3月3日が女の子の節供となり、別名「桃の節供」として定着していきました。桃の節供というのは、桃の開花期に重なるというだけでなく、桃の木が邪気を祓う神聖な木と考えられていたからです。

■ひな人形の発展と「ひな祭り」

「人形流し」の人形(ひとがた)は草、わら、紙などで作られていましたが、人形(にんぎょう)作りの技術が発展し高級化してくるにつれ、人形は流すものから飾るものへと変化していきました。豪華な「ひな人形」を雛壇に飾るのが流行すると、女の子が生まれたらひな人形を飾ることがみんなの憧れとなり、「ひな祭り」として皆でお祝いをするようになったのです。

ひな人形 それぞれのいわれ

ひな人形は宮中の様子を表しており、主に婚礼を意味しています。
1年に1度、おひな様を飾るときには、人形たちそれぞれの意味にも思いをはせながら飾ってみても楽しいですね。

【内裏(だいり)びな】

内裏とは天皇の住まいである御所のことで、お内裏様とお雛様が幸せの象徴となっています。
日本古来の並べ方は、左上位の考え方により向かって右に男びな、左に女びな(人形側から見ると、左上位で左に男びな)でしたが、昭和天皇が国際マナーに則して右上位に並ぶようになってからは、向かって左に男びな、右に女びなを並べるようになりました。今でも伝統を重んじる京都などでは、日本古来の並べ方です。

内裏雛

【三人官女(さんにんかんじょ)】

内裏に仕える女官たち。中央の女官長はお酒を飲む盃を三方にのせて持ち(上方では松竹梅の飾りのついた「嶋台」)、結婚しているので眉毛がありません(昔は結婚すると眉毛をそりました)。向かって左の女官は、お酒の入った「加えの銚子」を持ち、口を開いています。向かって右の女官は、お酒を注ぐ「長柄の銚子」を持ち、口は閉じています。

三人官女

【五人囃子(ごにんばやし)】

能の演奏をする人たち。笛、太鼓、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおかわ)、謡(うたい)の五人で、それぞれの表情も違います。

【随身(ずいじん)】

弓矢をつがえて宮廷を警護する人です。向かって左の若者が右大臣、右の髭をはやした老人が左大臣で、弓矢を持っています。

【三仕丁(さんじちょう)】

宮中の雑用係で、15人のおひな様の中で、一番庶民的な人たちです。怒りじょうご、泣きじょうご、笑いじょうごの3人なので、三人上戸(さんにんじょうご)ともいい、台笠(だいがさ。帽子をかけます)、沓台(くつだい。靴をのせます)、立傘(たちがさ)を持ち、出掛けるときの様子をあらわしています。ほうき、ちりとり、熊手を持っている場合は、宮中を掃除する様子をあらわしています。

ひな納め

3月3日を過ぎても飾っていると、娘が縁遠くなるという言い伝えがあります。これは、厄を移した人形を早く遠ざけたほうがよい、早く片付ける=早く嫁に行く、片付け上手な女性に躾ける、などの親心からきています。こうした気持ちをくんで、早めに片付けましょう。
ほこりを払って、薄紙にそっと包んで箱の中へ。防虫剤は控えめにします。

お江戸のひな祭り豆知識

●日本で初めてのひな祭りは?

1629年、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。天皇家が自分の娘のために開いたといわれています。これで一気にひな祭りブームが起こり、江戸幕府の大奥でも開かれるようになりました。

●ひな祭りの遊び方は?

江戸幕府が五節供を制定し、3月3日が桃の節供となると、ひな人形もだんだん豪華に。
自慢のひな人形を見せ合う「ひな合わせ」やご馳走をもって親戚を訪ねる「ひなの使い」が流行しました。町民が豊かになると、ひな祭りは町をあげての楽しい行事となり、美しいひな人形をもつことは町娘の夢でもありました。

●ひな人形の大きさは?

ひな飾りがどんどん華美になり、ついには等身大の人形まで登場。庶民の贅沢を警戒する江戸幕府は、人形の大きさを24㎝以下と決めました。

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